平成7年(1995年)〜同11年(1999年) 所沢ダイオキシン騒動

そして20世紀末の埼玉を騒がせた問題の一つが、平成7年(1995年)頃より始まる所沢ダイオキシン騒動です。

平成に入った頃から所沢市やふじみ野市や三芳町に跨るくぬぎ山地域には産業廃棄物の処理場が多く立地していました。

そんな中で平成7年にこの地区で高濃度のダイオキシンが検出されたという報道を皮切りに、平成11年(1999年)にはテレビのニュース番組で所沢市で採れた農作物から基準を超えるダイオキシンが検出されたと大々的に報道されました。

これを皮切りに所沢をはじめとした県内の野菜が各市場や店舗で販売停止になるという事態が発生したのです。

その後番組内でのダイオキシンの計測方法に誤りがあることが判明し、当時の小渕恵三首相自らが食して安全宣言を出すなどして騒動は次第に収まっていきました。

平成11年(1999年) 桶川ストーカー殺人事件

平成11年(1999年)には司法界にも大きな影響を与えた事件が桶川市で発生しました。

それが同年10月発生の桶川ストーカー殺人事件。同市在住で大学生であった被害者女性は加害者男性ともともと交際していましたが、別れ話を切り出したところから本人やその親族の元に加害者男性やその一味から嫌がらせの電話や中傷ビラが届くなどの嫌がらせを受けていました。

被害者女性も家族とともに上尾警察署に被害の届け出を申し出ますが、当時の署員には対応してもらえず被害はますますエスカレートしていきました。同署内では調書の資料の改ざんまでも行われていたといいます。

そうして同年10月26日、桶川駅前の商業施設・おけがわマイン前にて被害者女性が加害者の一味に刺殺され命を落とすという最悪の結末を迎えてしまいました。

その後主犯であった加害者男性は自殺し、実行犯をはじめとする一味が逮捕された同事件。被害者の声に真摯に対応しなかった警察当局にも大いに批判が集中し、改ざんに携わった署員には懲戒免職などの処分が科されたのです。

この事件を契機に、翌年の平成12年(2000年)にはストーカー規制法も制定されました。改めて今年で発生20年を迎える同事件の被害者女性のご冥福をお祈り申し上げます。

平成11年(1999年) 大宮アルディージャJリーグ参入

そして同11年、忘れてはならない出来事がありました。

浦和レッズに続き、大宮市(当時)を本拠地とする大宮アルディージャがこの年より始まったJ2リーグに参入しました!

同5年のJリーグ発足時に遅れること6年、待望のJクラブが大宮に誕生しました。

初年度にはJ1昇格ならずとも、翌12年には先述した通りJ2に降格した浦和との初のさいたまダービーも行われました。

そしてJ2参入5年目の同16年には2位の成績で悲願のJ1昇格を決めます!ですがJ1昇格後はなかなか上位争いには加われず、長く下位に低迷しJ1への残留争いに巻き込まれていました。

それでも同25年にはズデンコ・ベルデニック体制でJ1記録となる21戦無敗記録を打ち立てました。またJ1でのさいたまダービーもほぼ五分五分の成績を収めていました。

翌同26年は勝ち点1及ばず痛恨のJ2降格。それでも選手たちの奮闘でJ2優勝を手土産に、1年でのJ1復帰を成し遂げることができました。

J1復帰後の同28年も持ち前の守備で躍進を続け、J1での過去最高の成績となる5位に躍進しました。

続く同29年も前年以上の躍進が期待されましたが、抜けた選手の穴を埋めることができずJ1最下位で2度目のJ2降格。

そして昨年同30年は1年でのJ1復帰をかけて4年ぶりのJ2リーグを戦いましたが、自動昇格を逃してJ1参入プレーオフへ。そのプレーオフにも1回戦で敗れ1年でのJ1復帰とはならず、現在はJ2での2年目のシーズンを戦っています。

 

次回は平成12年〜22年までの期間を取り上げます。どうぞお楽しみに。

つづく

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