お寺の中にある古墳

古墳時代後期の古墳か

そんな境内の奥にあるのが永明寺古墳です。

前方後円墳の同古墳は長さ約78m・幅約42m・高さ約7mと、県内の古墳の中でも10番目の規模を誇り同市内では最大の古墳です。

墳丘直下に495年前後に降灰した火山灰が堆積してることから、古墳時代の後期にあたる5世紀末から6世紀初頭に造られたものと考えられています。

副葬品の謎

同寺の境内の一部になっている同古墳には石段が設けられており、墳丘上へと登ることができます。

墳丘を登った先には、前方部に文殊堂・後円部に薬師堂が建っています。

後者の薬師堂には平安時代にできたとされる木像薬師如来坐像や江戸末期に同地出身の秋山文林によって書かれた額も納められています。

もともと墳丘上にはこれらのお堂が建っていたようですが、1931年に寺の和尚の皆様が薬師堂の床下を発掘すると、緑泥片岩等を用いた石室から衝角付冑(しょうかくつきかぶと)や小札甲(こざねよろい)や金製耳輪などといった副葬品が見つかったそうです。これらの副葬品は2011年に同市有形文化財に指定され、一部が県立歴史と民俗の博物館に展示されています。

しかしこれらの副葬品は6世紀中頃から後期に作られたものであることがわかっており、同古墳ができた時期よりも少し後になります。

ということは造成以降追葬が行われてきたのか、あるいは埋葬者の死を待って造られたのか、そもそも埋葬者が誰なのか。謎は深まるばかりです…。

近くにはあの古墳群も

そして同古墳の12kmほど南には先日特別史跡への指定が決まった埼玉古墳群もあります。

同古墳群も5世紀末から7世紀頃と同古墳ができたとされる時期にまたがって造られており、規模は異なれど同じ前方後円墳が大多数を占めます。

生き証人がいるはずもないですが、ひょっとしたら同古墳は割と近くにある埼玉古墳群と何らかの関係を持っているのかもしれないですね。

羽生の名前の由来は・・・

ちなみに羽生という地名の由来、埴(はに、赤土の意)が生(う、多いの意)であることを表している説や埴輪(はにわ)がなまったものという説があるそうです。

近年の発掘調査で埴輪も実際に見つかっているということですが、埼玉古墳群も近いだけに古代の事物が地域に少なからぬ影響を与えていることが伺えてきます。

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スポット紹介

◇永明寺古墳

  • 住所:埼玉県羽生市大字下村君2278 永明寺境内

次回もまだまだ巡っていきますのでお楽しみに。

つづく

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