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【愛と哀しみの埼玉の歴史】移行15周年・政令指定都市さいたまはこうして生まれた その2

お世話になっております。

愛と哀しみの埼玉の歴史ということで、政令指定都市さいたま市がいかに誕生したか。

前回はさいたま市誕生までの経緯を軽くお話ししましたが、いよいよ政令市移行に向けての動きが本格化していきます。

 

 

さいたま市本格始動

初代市長に相川宗一氏

もろもろあって、2001年5月1日に誕生したさいたま市。

新しい市ができたら、まずは市長を決めないといけない。

そうして同月27日に初のさいたま市長を決めるさいたま市長選挙が執り行われ、投票の結果、前浦和市長の相川宗一氏が初代市長となりました。

同氏は6月に開かれた市議会で、政令市への移行を最優先課題とする旨を所信表明されました。

 

最初から政令指定都市じゃなかった理由

ところで、なんでさいたま市は初めから政令指定都市じゃなかったのか、疑問に思いませんか?


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移行にいろいろと手続きが必要なこともあるのですが、最大の理由は市域が固まっていなかったこと。

前回も少しお話ししたように、当初さいたま市は大宮・与野・浦和、そして上尾市と伊奈町が合併してできる構想でした。

しかし、皆さんもよくご存知のように、上尾と伊奈は合併に消極的であり、当面は合併に積極的な3市で合併を進めていきました。

そうして1999年9月に合併協議会で、大宮・与野・浦和の3市の合併で先行してさいたま市を発足させ、上尾や伊奈の意向を改めて問うとともに、誕生後2年をめどに政令指定都市に移行するという取り決めがなされたというわけです。

 

結果はもちろん

こうして市長選からひと段落した2001年6月に、さいたま市は上尾市と伊奈町に改めて合併の意向を確認。

同年8月に両自治体から返答がありましたが、ご存知のようにいずれもノー。

これにより当時のさいたま市の市域が決定し、市としても本格的に政令指定都市への移行に着手していく方向に舵を切ったのでありました。

 

 

政令指定都市に向けた動き

推進委員会の発足

上尾・伊奈の返答が待たれる同年7月、さいたま市役所には政令指定都市移行推進委員会が設立され、移行に関する事項の調査や審議が行われることになりました。

同年8月に行われた第1回目の委員会で、相川氏もさいたま市発足から約2年後の2003年4月1日の移行に向けて、限られた期間ではあるものの職員一同となって取り組んでいくよう、訓示を述べられました。

委員会には幹事会を主軸に、県からの移譲事務、組織、区役所整備及び財政に関する4つの部会を置き、各部会の検討内容は幹事会を通じて委員会に報告され、さいたま市としての意思決定がなされることとなりました。

 

さいたま市議会での動き

時を同じくしてさいたま市議会でも、移行の推進や各種調査を行うための政令指定都市推進特別委員会と、区役所の整備ついて各種調査を行う新市庁舎・区役所建設特別委員会が設立され、移行に向けて各種議論が行われました。

こうして2002年2月の市議会において、「さいたま市の政令指定都市の実現に関する意見書」が可決され、同年3月には市長と市議会議長が、県知事と県議会に要望書を出すまでに至りました。

 

市民団体の動き

さらに我々市民の中からも、政令指定都市移行に向けての動きが活発化することとなりました。


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市内の各種市民団体や経済団体によって、2001年11月にさいたま市政令指定都市推進市民協議会が発足。講演会の実施や、街頭における啓発活動等を通じて、政令市移行への必要性を広く市民に訴えていきました。

さらに、同年12月には市長・市議会議長に、翌2002年2月には県知事・県議会議長に早期移行の要望書をそれぞれ提出しました。

 

埼玉県も本腰へ

そして、政令指定都市への移行に向けては埼玉県の協力が不可欠。

このようなさいたま市内における移行への気運の高まりを受けて、埼玉県も市の姿勢を後押ししていくようになりました。

2001年8月30日には、移行にあたっての移譲事務などを決める政令指定都市移行連絡会議が、県と市の関係者によって発足。

翌2002年6月には、市の要望を受けた埼玉県議会でも、さいたま市の政令指定都市への移行が県全体の発展に向けて有意義なものであるとする意見書が採択になりました。

さらに同年11月には県からの移譲事務に関する協議もほぼまとまり、政令指定都市への移行に向けてさいたま市と埼玉県が足踏みをそろえることとなりました。

 

 

移行に向けたまちづくり

区画編成の方針決定

上層部の動向の説明はこれくらいにして、ここからは皆さんの生活にも深くかかわっている行政区が、いかにしてできたかをご紹介しましょう。

時は戻って、2001年7月19日。市長の諮問機関として、行政区画の編成や区役所の位置を決めるさいたま市行政区画審議会が発足し、同年10月をめどにこれらの方針を決めることとなりました。


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これが区割りの基本方針だ

そうしてもろもろの審議を重ねていき、区画編成の基本方針がまとまっていきました。

大まかには以下のような内容でした。

  1. 人口規模:将来の発展動向やきめ細やかな市民サービス提供を考慮して、10~20万人
  2. 行政区の数:旧大宮・浦和地域では西部・中央北部・中央南部・東部地域の各4区分、 旧与野地域は旧市の市域で1区分の計9区分
  3. 地形・地物:河川や道路、鉄道の形状を考慮
  4. 地域コミュニティ:各地域の歴史的経緯、市政運営や日常生活の基礎性を考慮して、できる限り従来を維持
  5. 通学地域:地域コミュニティを主体とする
  6. さいたま新都心地域の扱い:合併促進決議や行政面積から、旧与野地域を基本とする行政区に含める
  7. 区境:地域のまとまりを考慮して、旧3市の区境の地域については基本的には現行通りとする

基本的には旧3市のコミュニティを維持するといった形ですね。

 

区役所位置の基本方針

あわせて、区役所位置の基本方針も以下のように定められました。

  1. 交通の利便性:区内の住民にとって、およそ30分で到達できる位置に
  2. 住民の生活利便性:生活利便性を考慮して、他の公共機関や商業施設などが集積しているエリアに
  3. 地域発展の考慮:将来の地域開発や人口増加などを可能な限り予測して、最適な位置に
  4. 用地確保の可能性:コミュニティの中心として、ゆとりある面積の確保を
  5. 既存施設の流用:もしできれば既存施設の流用を検討

このような区分けや区役所の基本方針は、我々市民生活に直結するものであるため、適宜市民向けの説明会も開催して、市民にも理解を求めました。

最終的にこれらの内容が同年10月に採択され、前述の移行推進委員会でも採択されたというわけです。

 

またまた小難しい話でしたが、次回は各区の区名がいかにして決まったかをご紹介できればと思います。

ただ桜を見る会の準備等で、明日の公開は厳しいかな…。

 

次回もサービスサービスぅ!

 

つづく

 

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