梅だけじゃない越生町その6 安らかに眠れ世界無名戦士之墓

お世話になっております。

越生梅林梅まつりが始まった越生町の紹介も、いよいよ今回が最後です。

最終回となる今回は、町の中心部の近くにあるスポットをご紹介いたします。

 

…なかなかアレなタイトルですが、どうか最後までお付き合いいただけますと幸いです。

 

 

あってはならない戦争

緊張続く世界情勢

今は、それこそ平昌オリンピックで盛り上がってこそいますが、

特に昨年は北朝鮮の弾道ミサイルが数多く発射されましたね。

アカウントの性質上、当サイトでもツイッター上で埼玉県の各自治体のアカウントのツイートを日々チェックしてはいますが、「弾道ミサイル着弾時の行動について」などといったツイートを見る機会が非常に増えたように感じます。

それだけに、アメリカ本土を狙っている核ミサイルを開発しているという北朝鮮の動向は目が離せませんし、戦後70年、冷戦の終結から20年以上も経ちましたが、いまだに核戦争の脅威は過ぎ去っていないということですね。

悲しいかな…。

 

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親族にいた特攻隊員

これも多くは語りませんが、

皆様の中には、血縁関係のある方が先の大戦に巻き込まれた、もしくは先の大戦で兵士として戦っていたという方もいらっしゃるかと思います。

私の家系もそうです。

詳しいことはちょっとわからないのですが、私の父の母の弟、つまり大叔父は特攻隊員だったということです。

茨城の霞ケ浦の近くの予科練で訓練を積んで、鹿児島の方で敵の戦艦に特攻を仕掛けたということです。

当然生きて帰ってくることはできませんでしたが、私の父の母、つまり祖母も、終戦後幼い父と寝ているときに、よくその大叔父の名前を寝言でつぶやいていたということですよ…。

 

70年以上も前のことですが、大叔父に限らず先の大戦では多くの尊い命が失われました。

幸いにして戦争のない時代に生まれましたが、折に触れてはだしのゲンなどの反戦作品に触れていた身としては、このように多くの命が失われる戦争は、あってはならないと思います。

 

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夢半ばに逝った戦士たちのために

大叔父は結局亡骸も見つからなかったということですが、

多くの人命が奪われた先の大戦では、遺族の行方が分からなかったり、受け取り手のいない遺体や遺骨も多く発見されました。

戦争のない現代でこそ、無縁社会という新たな問題が生じてはいますが、そのような戦士たちを弔う施設が、越生町にはあります。

それが世界無名戦士之墓です。

 

 

その手前はさくらの名所

町役場の裏の山

さて、黒山から町の中心部へ戻ってまいりました。

…実は黒山からここまでの間、とんでもない珍スポットがあるのですが、それはまた、年末のNG集にとっておきます。

こちらが越生町の役場です。

日曜日でしたのでさすがに開いてはいなかったですけどね。

その町役場の裏に、なにやら小高い山があります。

大観山という山のてっぺんにある白いモニュメント。

あれこそが、世界無名戦士之墓です。

 

春が待ち遠しいさくらの山公園

では、自転車を降りて山を登って行こうと思います。

案内に沿って、山道を登っていきます。

この前に登った山道よりかははるかに緩やかだけど、その分S字状で距離もあるから消費体力は実質変わらないな…。

登り始めて10分ほどでしょうか。

こんなモニュメントがありました。

ん?「さくらの山公園」?

そうなんです。

無名戦士之墓の手前はさくらの山公園となっていて、すっかり枝だらけにはなっていますが桜の木がたくさん植えられているのです。

春になるとこんな風に、たくさんの桜で斜面が覆い尽くされるんですよ!

いや~、梅の次はこれかね。

で、夏になったら黒山三滝で、秋になったら…。

そう考えると、一年を通して見どころが尽きないですね、越生は!

 

スポット紹介

◇さくらの山公園

  • 住所:埼玉県入間郡越生町越生

 

 

小高い山の頂上に

さらに階段を登って

だがしかし、目的地はここではない。

モニュメントの横にある階段を、さらに登っていきます。

登って行くにつれて、そこから見える景色もより広大なものへと変化していきます。

頂上から見た景色は、どんな感じなんだろう。

 

最後の難所・石階段

そしてその先に待ち受けていたのが…

やはり階段!

それもそこそこ段がありそうなの…。

最後の関門だと思って登っていきます。

駈けあがったらいい運動になりそうですね。

 

中間にある慰霊碑 書いた人は…

ちなみに、階段の中ほどには

このような慰霊碑があるのですが、

この慰霊碑という字を書いたのが、かの佐藤B…、じゃなかった佐藤栄作。

日本で唯一のノーベル平和賞受賞者にして、歴代総理大臣の中で最も長期政権だった人物ですね。

ちなみにこの人、安保闘争の際に総理大臣だった岸信介の実の弟だというのは有名な話かと…。

 

登り切ったその先に

そうして階段をすべて登り切り…

到着!

こちらが世界無名戦士之墓です。

 

越生出身の医師が発起人

なんでこんな施設が越生にあるかというと、埼玉県議会の副議長で越生出身の医師であった長谷部秀邦氏が、引き取り手のない戦死体の供養と世界平和を願って、1949年にこの無名戦士之墓の建造を発起。3年後の1952年から建造が始まり、1955年に完成。太平洋戦争の開戦日であった同年12月8日に落成式典が行われました。

施設内では県内をはじめ、各地で戦死した200以上の霊廟を安置。

花がたむけられていますね。

 

なお、毎年5月の第2日曜日には県知事なども出席する慰霊祭が開催され、異例の意味も込めて関東では一番早い花火大会も行われるんですよ!

てっぺんから見た埼玉の地

お墓のさらに上に

そしてこちらのお墓。

お、何やら階段のようなものがあるではないか!

登ってみよう。

上に登ると…、

おお!なんと素晴らしい光景が広がっているではないか!

越生を含む、埼玉の地の大パノラマです!

動画で録るとこんな感じ。

南は所沢、北は熊谷方面まで、埼玉の各地域を見渡すことができます。

 

はるか向こうに我が街

そして、ちょっと見づらいのですが

はるか向こうに、我が街大宮、さいたま新都心も見ることができます。

上の画像の真ん中あたり、空に溶けそうな白い建物が、ちょうどさいたま新都心のビル群です。

 

思えば遠くに来たもんだ。

 

埼玉は何もなくなんかない

確かに東と西ではかなり文化が異なってはいるけど、埼玉は本当に広い。

越生もそうだし、東秩父に杉戸に上尾に蕨に、今までいろんな埼玉のまちを訪れてきたけど、そのどれもが特色があった場所だったし、決して「何もない」場所ではなかった。

こういう投稿って、普段の投稿に比べれば興味がわきづらくて、アクセスも少なくなるのかもしれない。

それでもこの投稿から、埼玉はとてもバラエティに富んだ地域だということ、そしてなにより見どころがたくさんあるということに気づいてくださる方が一人でも多く出てくることを信じてやみません。

 

施設紹介

世界無名戦士之墓

  • 住所:埼玉県入間郡越生町越生

続きもひょっとしたらあるかもよ

というわけで、6回に及んだ越生町の紹介はこれでおしまいです。

まあ、シーズン開始直前にこのネタをぶち込むのはちょっと無理があったかもしれませんが、広い埼玉はまだまだ私も行けていない場所がたくさんあります。

来月は、ひょっとしたらあなたの街に行くかも?

 

ちなみに越生からの帰り、ある場所に立ち寄ったのですが、それを語るのはまた別の機会にします。

 

ぜひ、今が旬の越生へ!

 

おわり

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