【埼事記 2020/11/14】149回目の埼玉県民の日 住民主体の地域づくりを

■「ダサい」「何もない」「魅力がない」

普段そう思っていても、11月14日という日付を見てハッとする者は少なくないことだろう。

言うまでもなく本日11月14日は埼玉県民の日である。

そのいわれは1871(明治4)年の本日、忍県・岩槻県・浦和県の3県が合併して埼玉県が誕生したことにある。この時は荒川から東側の地区のみであったが、5年後の1876年に同川西側の入間県が合併し、現在の埼玉県の県域が確定した。

本日は、当初の埼玉県ができ「埼玉」という地名が世に出てから、149回目の県民の日ということになる。

■それゆえ、来年2021年の県民の日に「埼玉」は150周年を迎えることになる。

県当局においても150周年プロジェクトが始まっており、本日はその1年前イベントも埼玉会館において執り行われる。そこから150周年を盛り上げる様々な企画も実施される予定だ。

それにしても、来年放映予定の大河ドラマは郷土の偉人・渋沢栄一が主人公の「青天を衝け」で県都・さいたま市も誕生20周年を迎える。2021年は埼玉地域にとって大きな一年になりそうだ。

■さて、とかく埼玉というと冒頭にあるように「何もない」「ダサい」などといった印象を持つ者が地域においても少なくない。

秩父の自然、盆栽や和紙などの伝統、小江戸川越の街並み、熱い祭りと海はなけれど多数の市町村がある埼玉では「何もない」とは言えないほど多様な文化・事物が存在している。そのような印象を持つ者がどこまで考えているかは知る由もないが、それらを無視して地域を評価することはできないだろう。

■一方で、昨今では町内会やPTAなど地縁的な繋がりをタブー視する向きも強い。イベントへの強制参加が嫌、ずっと一緒にいるのが嫌、会費が無駄、様々な非難があがっている。

個人主義やベッドタウン化が進行する中、地域とのつながりを犠牲にして最低限の付き合いの元で生きていこうということなのか。

■確かに地域とのつながりがなくとも、家族や職場や友人知人と最低限のつながりさえあれば生きていくのに不自由はしない。それでも人間関係が固定化される恐れもある。そのような時に、例えば新しく商売を始めたい、誰かに話しにくい悩みを打ち明けたいといった時にもネットワークが限られてしまっているためうまくいかなくなることが往往にしてある。

地域とは一個人にとって最大のコミュニティであり経済単位である。地域の中で資源や富の循環を創造し、それを他の地域にも広げていく。家族や知人同士ではできないことも地域というネットワークで実現しうる。

■単なるコラムゆえ読者に無理強いするつもりは毛頭ないし、あくまで一個人としての見立てである。

それでも、「何もない」「ダサい」などと感じるのはそのような地域とのつながりを軽視しているためではないのだろうか。

地域にコミットしていればそのように感じる余地もない。むしろそれまでの世界が新鮮で面白みのあるものに見えてくる。

■地域など行政が適当に盛り立ててればいい、そのような声もあることだろう。

しかし、地域の主役はあくまで地域住民だ。

行政ができることは自ずと限界があるし、末端の末端まで地域を盛り立てていけるのは他でもない地域住民の役割だ。会食ボランティア、ゴミ拾い、回覧板、方法は様々だ。

■否決されたが大阪都構想や道州制と、少子高齢化社会に突入した昨今では地域区分も大きく変わる可能性がある。

それでも地域の担い手はいつになってもその地域住民に他ならない。

来るべき埼玉150周年に向けて、地域へ一歩踏み出そう。

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